HISTORY沿革
HISTORY
1982
TOPIC
- ヤマハ発動機ラグビー同行会結成
静岡県ラグビー協会にチーム登録
第5回静岡県社会人選手権 SBS杯初出場
1984
TOPIC
- ヤマハ発動機株式会社ラグビー部に名称変更(創部)
- 来客駐車場横グラウンドにラグビーポールを新設
グラウンド開き記念試合開催(対スズキ自動車工業戦)
1987
TOPIC
- 静岡県社会人2部リーグ出場
磐田市大久保のヤマハ発動機総合グラウンドにラグビー専用グラウンドを建設
1988
TOPIC
- 88年静岡県社会人2部リーグ出場
静岡県社会人1部リーグへの入替戦(対鈴木自動車工業 19-0)
静岡県社会人1部リーグに昇格
1989
TOPIC
- 第42回全国社会人ラグビー大会東海北陸地区予選出場 (対日本電装 20-9)
東海社会人Bリーグへの入替戦
(対豊田自動織機 16-25)
1990
TOPIC
- 関西社会人ラグビーCリーグへの入替戦
(対旭硝子 44-0)
第43回全国社会人ラグビー大会地区代表決定戦出場
(対三菱自工京都 15-45)
1991
TOPIC
- 関西社会人ラグビーCリーグに昇格
同91年、関西社会人ラグビーBリーグに昇格
1992
TOPIC
- 第45回全国社会人ラグビー大会代表決定戦出場
(対ワールド11-40)
1994
TOPIC
- 第47回全国社会人ラグビー大会代表決定戦出場
(対本田技研鈴鹿 49-12)
第47回全国社会人ラグビー大会初出場
(対東芝府中 13-90)
1995
TOPIC
- 最新スポーツ施設を完備したラグビー部専用独身寮「豊田寮」完成
第48回全国社会人ラグビー大会代表決定戦出場
(対NTT関西 14-33)
1996
TOPIC
- 第49回全国社会人ラグビー大会代表決定戦出場
(対本田技研鈴鹿 45-19)
第49回全国社会人ラグビー大会出場
(対神戸製鋼 7-104)
1997
TOPIC
- 関西社会人ラグビーAリーグへの入替戦
(対三菱自工京都 19-26) - 第50回全国社会人ラグビー大会代表決定戦出場
(対本田技研鈴鹿 26-26) - 関西社会人ラグビーAリーグに昇格
- 関西社会人ラグビーAリーグへの入替戦
(対三菱自工京都 47-0) - 第50回全国社会人ラグビー大会出場(対マツダ 27-26)
1998
TOPIC
- 第51回全国社会人ラグビー大会出場
(対神戸製鋼 12-82)
2000
TOPIC
- 関西社会人ラグビーAリーグ入替戦
<Aリーグ残留決定>(対大阪府警 61-14) - 第53回全国社会人ラグビー大会代表決定戦出場
(対NTT西日本 35-18)
2001
TOPIC
- 第53回全国社会人ラグビー大会出場
(対サントリー 10-57) - 第54回全国社会人ラグビー大会出場
(対クボタ 21-22)
2002
TOPIC
- 関西社会人ラグビーAリーグ
(対神戸製鋼 25-21)優勝 - 第55回全国社会人ラグビー大会出場 ベスト8
(予選プール2勝1敗で決勝トーナメント進出。1回戦 対NEC 24-24引き分け)
※トライ数によりNECが準決勝進出
2003
TOPIC
- ジャパントップリーグ開幕
- ジャパントップリーグ3位
2004
TOPIC
- マイクロソフトカップ(対東芝府中 10-39)1回戦敗退
- 第41回日本選手権 準決勝進出
(対東芝府中 12-33) - ジャパントップリーグ2位
2005
TOPIC
- マイクロソフトカップ(対東芝府中 6-20)準優勝
- 第42回日本選手権(対NEC 13-24)
- ジャパントップリーグ第7位
2006
TOPIC
- マイクロソフトカップ(対サントリー 17-35)1回戦敗退
- ジャパントップリーグ第3位
2007
TOPIC
- マイクロソフトカップ(対サントリー 39-40)準決勝
- 第44回日本選手権 2回戦 (対関東学院大 53-14)
準決勝 (対東芝ブレイブルーパス 10-47) - ヤマハスタジアム初の大学チームとの招待試合
対早稲田大学 24-21 - ジャパントップリーグ第7位
2008
TOPIC
- ヤマハラグビー祭(ヤマハスタジアム)
対NECグリーンロケッツ 33-19 - トップリーグ第7位
2009
TOPIC
- ヤマハスタジアム初のラグビー国際試合
対イングランド州選抜 20-36 - トップリーグ第9位
2010
TOPIC
- 日本選手権出場決定トーナメント1回戦
対コカ・コーラウエストレッドスパークス 17-31 - トップリーグ第11位
2011
TOPIC
- 入替戦 対九州電力キューデンヴォルテクス 12-10で勝利
- トップリーグ残留
- 清宮克幸監督就任
- 釜石遠征 復興祈念試合(釜石シーウェイブス 76-5)
- トップリーグ第8位
- この年、五郎丸歩選手が、得点王・ベストキッカー賞・ベスト15の三冠に
2012
TOPIC
- 日本選手権出場決定戦 (ヤマハ 17-15 近鉄)
5年ぶりの日本選手権出場を決める。 - 第49回日本選手権1回戦 (ヤマハ 15-56 東芝)
- FW選手のみでフランスへスクラム遠征
- トップリーグ6位
- 五郎丸選手が2年連続の得点王、ベストキッカー賞、ベストフィフティーンを受賞。サウ選手がベストフィフティーンを受賞トップリーグ出場100試合を達成した大田尾選手と山村選手が特別賞を受賞
2013
TOPIC
- トップリーグ5位
- 日本選手権出場決定戦 (ヤマハ 70-12 近鉄)
- 五郎丸選手が3年連続のベストフィフティーン受賞、堀江選手が新人賞とベストフィフティーンの2タイトルを受賞。尚、新人賞はヤマハラグビー史上初の獲得
2014
TOPIC
- トップリーグ準優勝(パナソニック30-12ヤマハ)
- 第52回日本選手権優勝(ヤマハ15-3サントリー)
- 堀江選手と五郎丸選手がベストフィフティーンを受賞
2015
TOPIC
- トップリーグ3位
- 五郎丸選手がリーグ戦得点王を受賞
2016
TOPIC
- トップリーグ準優勝(16チーム総当たり戦、14勝1敗)
- 第54回日本選手権ベスト4(パナソニック36-24ヤマハ)
2017
TOPIC
- トップリーグ3位(3位決定戦:ヤマハ28-10トヨタ)
- 第55回日本選手権ベスト4(準決勝:サントリー49-7ヤマハ)
- 五郎丸選手がベストキッカー賞を受賞
2018
TOPIC
- トップリーグ ホワイトカンファレンス1位通過
- トップリーグ順位決定戦 準決勝 サントリー28-25ヤマハ
(第56回日本選手権準決勝を兼ねる) - トップリーグ3位(3位決定戦 ヤマハ15-12トヨタ自動車
2019
TOPIC
- トップリーグカップ戦11位(ヤマハ35-31豊田自動織機)
- クワッガ・スミス選手がベストフィフティーン受賞
- 五郎丸選手が第1節のコカ・コーラ戦にてトップリーグ通算最多得点を更新
- 清宮克幸監督が2018年度シーズンをもって退任
2020
TOPIC
- 堀川隆延が3度目の監督就任
- トップリーグ2020 開幕戦(vsトヨタ自動車ヴェルブリッツ)でヤマハスタジアム最高入場者記録13,875名を達成
- 新型コロナウイルス感染拡大により6節でリーグ中止
2021
TOPIC
- トップリーグ ホワイトカンファレンス6位
プレーオフ2回戦敗退(ヤマハ12-46クボタ) - ヤマハ発動機ジュビロ、ラグビー日本代表として長きにわたり貢献した、山村・五郎丸引退
略歴
1982年にヤマハ発動機株式会社磐田本社に勤務する26名の社員が「ヤマハ発動機ラグビー同好会」を発足し、1984年に「ヤマハ発動機株式会社ラグビー部」が創部。
1985年に磐田本社の来客駐車場に隣接したグラウンドにラグビーポールが立てられ、スズキ自動車と本田技研工業浜松製作所と共に県西部三社定期交流戦を実施するなど試合数を増やし、強化部としての活動が本格化していき、社内や地域でのラグビーへの関心を高めていった。
1988年に大久保グラウンドにラグビー専用グラウンドの建設が決定。中野一良を初代代表とし、コーチにスティーブ・ジョンソンを招聘。
1989年には強化組織の体制を整え、中尾晃ら有力選手が加入。県内の2大会を制覇。
1990年も県内2大会の2連覇を達成し、関西Cリーグ入替戦に勝利し、関西リーグへの参戦を決める。
1991年度の秋から関西C2リーグに参戦し、大阪教職組合や滋賀県庁、日立造船などと対戦し、全勝でC2ブロックの優勝を飾る。C1ブロック優勝の鐘淵化学、C3ブロック優勝の京都職員組合とのCリーグ優勝決定戦にも快勝し、わずか1シーズンで関西Bリーグへの昇格が決まった。
1993年度に永易均が代表に就任、中尾主将らを強力に支援。
1994年度に第47回全国社会人大会へ初出場し、秩父宮ラグビー場にて東芝府中と対戦し、13-90で完敗するが、全国を視野に入れる大きな契機となった。
1996年度に畑幸児を主将に抜擢し、ウィリアム・ルーセーや日新製鋼からケビン・シューラーが加入し、厳しい練習に取組む。Bリーグ5シーズン目にして7戦全勝し、Aリーグとの入替戦への出場権をようやく手に入れた。しかし、Aリーグの壁は厚く、三菱自動車京都に18-26と惜敗し、昇格の夢は持ち越しとなった。
1997年度もBリーグを圧勝で制覇し、三菱自動車京都と再び入替戦にて対戦。降りしきる雨の中、47-0の完封勝利で前年の雪辱を晴らし、念願の関西Aリーグ昇格を果たした。
1998年度はヘッドコーチにケビン・シューラーが選手兼任で就任、Aリーグ初年度は4位と健闘した。
1999年度は元東芝監督の花岡伸明を監督に招聘し、第52回全国社会人大会にてベスト8入りを果たした。
2001年度は花岡伸明がゼネラルマネージャーとなり、ケビン・シューラーがヘッドコーチに就き、久保晃一が主将に、副将に堀川隆延が就任し、リーダーの若返りを図った。
また、フランスリーグのバイヨンヌから日本代表のスクラムハーフ村田亙が加入し、戦力が整う。トヨタ自動車に33-26で逆転勝利し、関西Aリーグ2位へと躍進する。
2002年度は勝利を重ね、優勝決定戦となるリーグ最終戦を花園ラグビー場にて神戸製鋼と対戦、ワイサキ・ソトゥトゥのトライなどでリードを奪い、後半もPGで追加点をあげ、25-21で激戦を制し、関西Aリーグ全勝を達成。1984年の創部からの悲願であった関西リーグ制覇を現実のものとし、さらにこの結果により、翌年度から誕生する「ジャパンラグビートップリーグ」に最も早く参加資格が与えられるという栄誉も手に入れた。
2003年トップリーグの誕生に伴い、「ヤマハスタジアム」に改称、サッカーとラグビーが開催されるスタジアムとなる。
記念すべきラグビー初の公式戦は12月7日、サントリーを迎えての第6節。西村弥のトライなどにより17-10で勝利。リーグ戦成績は安定感あるディフェンスで第3位になり、その実力を全国に証明した。
2004年元ニュージーランド代表の伝説のウィング、グラント・バティをヘッドコーチに招聘。キック力のあるニュージーランド代表のSOレオン・マクドナルドが加わる。
東芝をヤマハスタジアムに迎えての第11節がヤマハラグビー史上初となる日本一の座をかけた試合となった。
マイクロソフトカップ準々決勝ではクボタに26点差を逆転して勝利し、準決勝ではトヨタと対戦し、同点により抽選に。久保主将が「決勝進出」の封筒を手にした。
決勝戦は再び東芝と対戦。6-20で惜敗するがシーズン中に2度の日本一をかけた試合を経験できた。
2005年日本代表の木曽一が主将に就任。この年、ヤマハ発動機㈱は創立50周年を迎え、ヤマハスタジアムにて神戸製鋼戦前に記念セレモニーを実施。多くのファンをヤマハスタジアムに集め、「ベストファンサービス賞」を受賞した。このシーズンから入団2年目の大田尾がスタンドオフに定着し、スピード感溢れるラグビーが展開されていく。
2006年トップリーグは新たに2チーム加え、14チームに拡大。第7節の東芝戦はシーソーゲームの末、ラストプレーにてネイサン・ウィリアムスがPG成功させ、35-34で創部史上初となる東芝からの勝利をもぎ取った。
これにより、全国トップレベルの社会人チームすべてから勝利を収めた。リーグ戦成績は第3位に返り咲き、日本選手権ではベスト4入りした。
2007年開幕戦をヤマハスタジアムにて開催(対トヨタ戦)。2003年度に引退したワイサキ・ソトゥトゥがコーチ兼務で選手に復帰、日本代表の大西将太郎が加入し、攻撃力が増強。
三菱重工相模原戦では96得点をあげ、当時のトップリーグ記録を作る。
2008年ニュージーランド代表で主将を務めたルーベン・ソーン、チーム史上初の南アフリカからの選手となったローリー・ダンカン、若干20歳のマレ・サウらが入団し、大学からは五郎丸歩、中園真司、西直紀らが加入。選手層に厚みを持ってシーズンに臨んだシーズンだったが、開幕節にてクボタに1点差で敗れ、トップリーグ元年から初となる黒星スタートに。その後、サントリーに勝利するなど、好ゲームもあったが、上位チームの壁を崩せず、7勝6敗でリーグ7位に終わる。
ソーン選手がベストフィフティーンを受賞した。
2009年ケビン・シューラーが再び指揮官に就任し、元ニュージーランド代表のモセ・トゥイアリイ、東海大学からリーグ戦グループのトライ王、岸直弥らが加入。
春にヤマハスタジアム初となるラグビー国際試合、対イングランド州選抜戦を行い、互角の勝負を見せた。秋のリーグ戦ではヤマハスタジアムでの第4節で待望の勝利を挙げ、ジョシュア選手がリコー戦にて1試合に4トライ奪う活躍を見せるなど波に乗りかけていたが、11月に翌年度からの正規社員中心による選手編成を発表。
チーム内に動揺が生まれる中、後半節敗戦が重なり、5勝6敗2引き分けで9位に後退した。日本選手権出場をかけたワイルドカードトーナメントではコカ・コーラに17‐31で破れ、シーズンを終えた。
2010年堀川隆延が2年ぶり2度目の監督に就任。畑幸児、久保晃一、中越将通ら、関西Aリーグ制覇時代のメンバーがコーチスタッフとして脇を固め、串田義和が主将として選手の先頭に立った。リーグ参戦以来、最少人数となる36名でリーグ戦に挑んだ。ヤマハスタジアムでの開幕節、五郎丸歩が8PG を成功させ、試合終了間際に矢富勇毅がトライ、劇的な開幕戦勝利を飾った。リーグ戦終盤では苦戦しながらも第11位となり、自動降格を回避し、トップリーグ参戦以来、初となる入替戦へ。ヤマハスタジアムにて九州電力と対戦し、12‐10でトップリーグ残留を決め、翌シーズンに望みを繋いだ。
2011年清宮克幸が監督に就任。早朝からレスリングを取り入れるなど斬新な練習で強化を図り、就任当初から報道陣からの注目を集めた。ヤマハスタジアムでの開幕戦は約1万人近い来場者が駆けつけ、55得点の圧勝により開幕節から首位に躍り出る会心のスタートを切った。しかし、上位チームとの対戦で勝利を奪えず、6勝6敗1分の第8位となった。
ワイルドカードトーナメントでは近鉄に勝利し(17‐12)、5年ぶりに日本選手権への出場を決めた。迎えた1回戦、東芝と対戦し、15‐56の大敗に終わるが、確かな手ごたえを掴んだシーズンとなった。五郎丸選手が得点王、ベストキッカー賞、ベストフィフティーンの3冠を受賞した。
2012年春にFW選手はフランスへスクラム修行を実施、徹底的にスクラム強化を推進してシーズンに臨んだ。リーグ参戦10年目にして初となる開幕節からの4連勝を飾るが、またしても上位4強を崩せず、8勝5敗で第6位となった。ワイルドカードでは近鉄に10トライ奪う圧勝を見せ、日本選手権へ2季連続の出場を決めた。
しかし、1回戦の対パナソニック戦では大量リードを許して敗退。またしてもベスト4入りの厳しさを痛感した。
2013年はFLに三村を抜擢。南ア代表歴を持つデウォルト・ポトヒエッターを加え、強化を図る。この年、NO8.堀江、CTBマレ・サウ、FB五郎丸が日本代表に選出され、戦力が充実。
この年最終順位は5位とベスト4の壁に阻まれるも、「ヤマハスタイル」という言葉のもと、スクラムの力は日本屈指のものとなる。
2014年強力なセットプレーを武器にリーグ戦を戦う。サントリー・パナソニック・神戸製鋼に敗戦を喫するも、リーグ戦4位となりプレーオフへ進出。
プレーオフ準決勝ではリーグ戦では大敗した神戸製鋼に勝利し、2004年以来10年ぶりに決勝の舞台へ駒を進める。決勝はパナソニックに敗れるも、準優勝となったが、日本選手権では、準決勝で東芝を退け、サントリーと日本一をかけた決戦。決勝においてもスクラムでサントリーを圧倒。CTBマレ・サウのトライ、FB五郎丸の正確なキックで数少ないチャンスをものにし、80分間の死闘を制す。1984年の創部以来、挑戦し続けてきた日本一のタイトルを遂に掴み、歓喜の瞬間を迎えた。
2015年ワールドカップ日本代表にCTBマレ・サウ、FB五郎丸が選出。南アフリカ代表から奪った歴史的勝利に貢献。
チームは10月にNZ遠征を実施。リーグ戦では、安定した力を発揮し3位となり、2季連続でトップ4入りを果たす。
2016年はリーグ開幕戦でパナソニックに勝利しリーグ戦12連勝でヤマハスタジアムでリーグ優勝をかけてサントリーとの対戦。多くの来場者が見守る中での試合となったが、24-41で敗れ、リーグ優勝は阻まれ、リーグ戦2位でシーズンを終える。
この年、日本代表にPR仲谷・山本・伊藤、HO日野、FL三村、ヘル・ウヴェ、SH矢富、CTBマレ・サウの8名が選出。
2017年はスーパーラグビー・レッズ(豪)、仏TOP14・トゥーロンでの海外チャレンジを終えたFB五郎丸がチームへ復帰。主将にはNO8堀江を据える。強力FWとCTBマレ・サウ、WTBゲラード・ファンデンフィーファー、FB五郎丸など、充実の布陣で日本一を狙うも3位でシーズンを終える。この年、2004年からチームの司令塔として長きにわたりチームへ貢献した大田尾が引退を迎える。
2018年は6月にイタリア選抜との国際親善試合を行う。世界レベルの力を目の当たりにするも、貴重な財産となった。この年、ワールドクラスの実力を持つ、南アフリカ代表FLクワッガ・スミスが加入。プレーオフ準決勝ではサントリーとの死闘は延長戦にもつれ込むも、ペナルティゴールを決められ惜しくも敗れる。3位決定戦では、2季連続でトヨタ自動車との対戦し、15-12で勝利。8シーズンに渡りチームの指揮を執った清宮監督はこのシーズンで退任。
2019年はラグビーワールドカップ日本大会が開催。ヤマハからは日本代表としてFLヘル・ウヴェ、南アフリカ代表としてクワッガ・スミスが選出。
清宮体制の後を受け継いだのは、3度目の監督就任となる堀川隆延。主将にLO大戸を起用。MAXIMIZEというチームスローガンを掲げ新体制をスタート。
1月のシーズン開幕へ向けた11月にフランス遠征の実施、TOP14・スタッドトゥールーザンとのパートナーシップ協定を締結。スクラムコーチとして長谷川慎氏を再招聘するなどチーム強化体制を構築。1月のヤマハスタジアムでのトヨタ自動車との開幕戦では、過去最高の13,875名の来場者がつめかけ、31-29で勝利しワールドカップに匹敵する盛り上がりの中、スタートを切ったが、新型コロナウイルス感染拡大の影響でリーグ戦6試合で中止となった。
2020年にはヘッドコーチとして、スーパーラグビーでのヘッドコーチ経験のある大久保直弥氏を招聘。充実の体制でスタートをしたが、主力に怪我人が続出。
厳しい状況下の中での戦いを強いられた。リーグ戦カンファレンス6位で迎えたプレーオフ2回戦でクボタに敗戦を喫し、7季ぶりにベスト4入りを逃す。
この年、ヤマハのみならず日本のラグビー界に多大な貢献を果たしたPR山村、FB五郎丸が引退。
2021年はトップリーグに代わる新リーグ「JAPAN RUGBY LEAGUE ONE」への参戦を機に、チーム名を「ヤマハ発動機ジュビロ」から「静岡ブルーレヴズ」にリニューアル。初代社長に山谷拓志、クラブリレーションズオフィサーに現役を退いたばかりの五郎丸歩を迎え、静岡県をホストエリアとする日本初のプロラグビークラブとして新たな船出を切った。しかし、リーグ戦では新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け、ホストゲーム2試合を含む4試合が不戦敗となるなど苦戦を強いられ、初年度は12チーム中8位という結果となった。